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2019年3月 春のお彼岸に

こんにちは。

 

昨日、父の眠る麻布山善福寺で行われた、春のお彼岸の合同法要に参加してきました。

父が亡くなってから1年ちょっと・・・合同法要への参加はこれで3度目になります。

 

法要では毎回、善福寺以外の様々な地方の住職をお招きしていて、その方が法話をしてくださるのです。

住職さんのお話を伺う機会など普段の生活ではなかなかないので、私にとってはとても貴重な時間になっていて、毎回楽しみにしています。

 

今回は40代の奈良県からいらした住職さんでした。

ちょうど今は桜の咲く季節。それにちなんで良寛和尚の句を紹介してくださいました。

 

「散る桜 残る桜も 散る桜」

 

風が吹いて散る桜の花吹雪の中、散らずに咲く桜を見ながら詠んだとか。

「今散らずに残っている桜も、いずれ散っていくものなのだから、それを心得て、今、美しく咲く桜を愛でるべきである」ということを説いているのだそうです。つまり、「限られた命をどう生きるか、をテーマにしているんですよ」と住職はおっしゃられました。

 

なるほど・・・。そんな風に考えて桜を見たことがなかった私は、亡くなった父の言葉を思い出していました。

「来年の桜、俺は見られるかなぁ・・・」

そう言う父に、私は「何言ってるのよ、見れるに決まってるでしょ」と普通に(ある意味冷たく)返事をしていました。

晩年の父はきっと、良寛和尚の句の意味をきちんと理解したうえで、桜を眺めていたのでしょう。

そんな父の気持ちを察することが出来なかった自分を、今は恥じています・・・。

 

人は誰でも、いつかこの世とサヨナラする時がきます。そう、私も。

でも、元気な時には普通、「死」について考えることはしません。仕事、家族、趣味・・・毎日色々なことに追われ、あっという間に寝る時間になってしまうからです。

 

そんな毎日の中で、少しでも自分の人生、まあ、そこまで深くなくとも、例えば「今日の私」について振り返ってみるのもいいのかもしれません。

そして、家族や友人など自分の愛する人たちへの感謝や、今日1日を無事に過ごせたことに対する感謝、そして今日の自分についての想いを心の中でつぶやいてみるのもいいかもしれません。

私は、ほぼ毎日、短い時間ですが湯船の中でこれをしています。笑

 

法話のおかげで、私もこの世とサヨナラする時に「あ~、楽しい人生だった。ありがとう!」と言えるように、限りある命を思い切り全力で生きたい!と改めて考えた1日になりました。

 

皆さんも、どうか、日々の一瞬一瞬を大切に、充実した人生を送ってくださいね。